【居合道とは】

 居合の始祖は林崎甚助重信公と伝えられていますが、それ以前の戦い方は、お互いが刀を抜いて相対する「立合」と呼ばれる形態でした。まずお互いが名乗りあって「いざ」と刀を交える戦い振りは、まさに正々堂々としたものでしたが、不運にも林崎甚助重信公は父を敵の不意打ちによって失いました。卑怯にも刀を抜く前に襲われて絶命した父の仇を討つために考案したのが「居合」の始まりと言われています。

 つまり林崎甚助公は、刀が鞘(さや)に納まった状態での戦い方を追求したわけですが、当時使っていた刀に興味深い工夫が見られたと伝えられています。柄(つか)の長さは一尺八寸(54cm)、鍔先(鍔から切先まで)の長さは二尺七寸(81cm)、全長が四尺五寸(135cm)もあり、今の日本刀から考えるとかなり長すぎる感じがします。しかし、林崎甚助公は長い柄を有効に使って、一振りの太刀をそれ以上の武器として使いこなしたそうです。

この話からも、林崎甚助公の不意打ちの対処方法を純粋に追及した姿が想像できます。

 このように居合の技の背景には、まず敵の何らかの攻撃が想定されています。技術的なことに限りますと、居合とは、その攻撃を回避し、その場に居ながらにして敵を戦闘不能にする技術を言います。技の中での動きは、各流派で違う訳ですが、目的は同じなのです。

 居合に限らず古武道の修練はひたすら定められた型(かた)の反復です。各流派の開祖は、攻撃をかわす、敵を倒すために最も合理的な動きを考案してきました。当然敵の攻撃方法も様々で、その攻撃の対処は考える前に身体が動くようにしなければなりません。この状態まで自分の技術を高めるためには、何千、何万回といった反復練習しかありません。また、型をひたすら繰り返し練習することで、動きの無駄が少しずつ省かれていくものなのです。

 このように、居合は不断の努力が要求されるため、「坐禅」ならぬ「立禅」と呼ぶ人もいるくらい立派な精神修養の手段でもあります。




【中国地区居合道大会での演武の模様】

 伯耆流の居合の特徴を簡単に説明します。

 伯耆流の居合は、戦いによる解決を最上としない開祖の考え方を濃厚に反映しています。

 即ち、初太刀で腕や腋の筋をすり斬り、敵が戦意を失って引けば良し、こちらの意に反して反撃してくる場合に止めを刺すという流れの型が多いです。初太刀で敵の絶命を狙わないのは、刀が大振りにならず、素早い抜刀も可能になりますし、日本刀の耐久性を考慮してみても実に理に適っていると考えます。

 また、伯耆流で使用する刀は他の流派と比べると、やや短いようです。前述した熊本藩初代藩主、細川忠興が考案した肥後拵えでも明らかなように二尺三寸(70cm)程度です。短い刀はより素早い抜刀を可能にしますが、短い分、敵の懐により深く入り込む必要がでてきます。このように伯耆流の技は、敵との超接近戦を想定したものが多いです。

 また、伯耆流は古流と呼ばれる流派の一つなので、型の中にも古流独特の所作があります。敵を斬った後の残心で行う「臥龍の構(かまえ)」もそうですし、刀を立てて行う納刀も伯耆流ならではの動きで大変特徴的です。


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